アーカイブ:2021年 10月

  1. 「自ら見る これを明という」

    「自ら見る これを明という」(韓非 〜BC233頃 中国の思想家)現代語にすると「自分で自分を見抜くことができること、これを明知と謂う」となります。自分自身を正しく見えること、これこそが賢明であり明知だということです。

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  2. 「人生はつくるものだ 必然の姿などというものはない」

    「人生はつくるものだ 必然の姿などというものはない」(坂口安吾 1906〜1955 昭和期の小説家)人生は自分以外のものから与えられるものでありません。自分の意思で自分の生きたい人生を自分の手でつくるものです。しかし、自分のことのみを考え生きるものではありません。

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  3. 「己自身を統治しえぬ者は自由にあらず」

    「己自身を統治しえぬ者は自由にあらず」(エピクテトス 55頃〜135頃 ギリシャの哲学者)自分自身をコントロールすることが出来て、初めて自由にすることが出来るのです。人は欲望や本能など感情に支配されてしまうと、自分で自分自身をコントロールが出来なくなります。

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  4. 「頭をもたげよ、而(しこう)して視よ、而(しこう)して求めよ」

    「頭をもたげよ、而(しこう)して視よ、而(しこう)して求めよ」(北村透谷 1868〜1894 明治期の詩人 評論家)同じ日本語なのに、聞きなれない言葉はとても難しいですね。「頭をもたげよ」は、頭を上げよ、頭を上げなさい。「もたげる」とは「持ち上げる」とか「起こす」という意味。

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  5. 「鶏口と為るとも牛後と為るなかれ」

    「鶏口と為るとも牛後と為るなかれ」(司馬遷 BC145頃〜BC86頃 中国前漢の歴史家)「大きな集団の末端になるより、小さな集団であっても長になる方がよい」を意味することわざです。

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  6. 「自分に打ち勝つことは勝利のうちの最大のものである」

    「自分に打ち勝つことは勝利のうちの最大のものである」(プラトン BC427〜BC347 ギリシャの哲学者)人間は欲望の塊です。食欲、睡眠欲、色欲、姿形をよく見られたいだとか、だらけたい、怠けたい、楽をしたい、例を挙げればきりがないほど人間の欲は多いものです。

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  7. 「至誠天に通ず」

    「至誠天に通ず」(内田魯庵 1868〜1929 明治・大正の評論家 小説家)至誠とは極めて純粋な真心のことを言い、「誠の心を尽くして行動すれば、いつかは必ず天に通じ認められる」という意味です。

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  8. 「真の勇気というものは極度の臆病と向こう見ずの中間にある」

    「真の勇気というものは極度の臆病と向こう見ずの中間にある」(セルバンテス 1547〜1616 スペインの作家)「極度な臆病」とは、ちょっとした物事でも怯え怖がることです。「向こう見ず」とは、無鉄砲で前後を考えずに物事に突進するようなことです。

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  9. 「千日の稽古を鍛とし 万日の稽古を練とす」

    「千日の稽古を鍛とし 万日の稽古を練とす」(宮本武蔵 1584頃〜1645 江戸初期の剣客)千日(せんじつ):千の日のこと、多くの日数のこと稽古(けいこ):学んだことを習得するために練習すること鍛(たん):心身をきたえて強くすること万日(まんじつ):万の日、さらに多くの日数の...

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  10. 「子供にはすべての最も大きな可能性がある」

    「子供にはすべての最も大きな可能性がある」(トルストイ 1828〜1910 ロシアの小説家)どんな人であろうと可能性というものはあります。その中でも子供というのは可能性の宝庫だということです。何を学び、何を経験し、どうなっていくか・・・。

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